22歳前夜に思うこと

あと1時間半で私は22になるのだ。

早生まれ特権、21歳さようなら、

 

まずはじめに

神様。

こうして健康で22歳を迎えられることを感謝します。

ありがとうございます。

 

最近、どんどん臆病になりつつあり、

なにをするにも

生きることへの執着じゃないけど、

もっともっと生きていたいと思うことが多くあります

だから、この先も強く生きていけますように

神様これからもよろしくお願いします。

 

22歳で大事にすること

 

①言葉

これは最近、『本日は、お日柄もよく』という小説を読んだことから

言葉の持つ魔力について考えるきっかけを得た。

 

言葉という魔物をどう操るか。

きっとこれまでの人生、たくさんの言葉に励まされ、背中を押され

たくさんの言葉に傷つけられ、恐れおののいただろう。

 

逆もしかり

 

自分の言葉が、誰かを傷つけ

また誰かの背中を押したこともあろう、そう信じたい。

 

使う言葉は慎重に。

扱いようによっては、自分の大きな武器になるということを忘れずに。

 

またあるところでは、

「人生を変えるなら、意識ではなく行動を変えろ」

というフレーズを耳にした。

 

自分にはできっこない、難しい

と嘆くのではなく。

 

自分はこうなりたい。こうなるんだ

と常に公言していくこと

 

自ずと結果もついてくると信じて

大きな夢を言葉に乗せて。

 

想像のできない人が、夢を実現できるわけがないんだ。

 

また、自分が話すだけでなく

「聞く」力も大事だ。

「聞くことは、話すことよりもずっとエネルギーがいる。だけどその分、話すための勇気を得られるんだと思います」

 

真摯に人の話を聞く。

 

②親しき中にも礼儀あり

①言葉とも繋がるが、家族にも友人にも礼儀を守る。

 

約束。時間。話を聞く。感謝。

 

家族だから言わなくても分かるだろう、

仲の良い友人だから理解してくれるだろう

ではなく

 

相手を一人の個人としてきちんと尊重する。

近しい人に程、無遠慮を避ける。

信頼される人であるということは、まずは近しい人たちに

ということだ。

 

③自分が絶対だと思うな。

これは、分かっているようでわかっていないこと。

もちろん、自分の正義が100正しいとは限らない

そんなことは分かっているつもりだが、実際は分かっていないのが人間というもの。

 

自分を善人であると疑わずに生きるのではなく

自分も悪を行っていると少しでも意識して生きる必要がある。

これは最近、読んだ『教誨師』の本から教わった。

 

また、都合の悪いものに蓋をして目をつむって見えないふりをしている

ということを自覚する

 

これは最近の仕事で感じたことだ。

 

また、朝井リョウの『正欲』を読んで気が付かされたことだ。

 

自分が絶対で、普通だと思わないこと。

 

自分の信じる正義は、脆くて弱いものだということ。

 

これを理解する

 

④即断即決

色々なことを後回しにして

計画もたてず

とにかく何事も長引かせて生きてきた

 

自分が迷惑を食らうだけなら良いが、

人を巻き込むことが多い。

 

noならnoとはっきり言う。

即断即決。

 

これが誠実へと繋がる。

 

 

以上4つのことを心して

22歳は生きていきたい。

 

生かされていることへの感謝を忘れずに

明日も明後日も当たり前ではないことを忘れずに

いつか誰かの希望になれるように

誰かの光になれるように

 

 

今は自分が精進するときだ。

 

 

ロンバケ状態の現在における若干の考察について

私は今、ロンバケ状態である。

長い長いロングバケーションの最中にいる。

 

負けた「あの日」から。

色々と予定はあったが、特に縛られることもない日々を、自由な日々を送ってきた。

 

走り続けてきた4年間、部活に勉強にノンストップで全力疾走してきた4年間を思えば、

 

今の日常がどれほどゆるゆるなものなのか、と最近反省をしている。

 

走り続けなくてはならない。

人生に休息の時などない。ロンバケなどないのだ。

 

自分よ

立ちあがれ、

 

自分にしか歩めないこの道。

かけがえないのない道ではないか。

休まずひたすら歩み続けること。

 

4月から新しい環境で学ぶことになる。

飛び込む前に準備はできているか。

 

自分は自分に厳しくないなとつくづく思う。

誰かに叱咤激励されなければ、危機的状況でなければ、ギリギリにならなければ、

本気を出さない、

 

このままでいいのか。

また自分自身に負けていいのか。

 

次こそは、勝つと決めたんだ。

 

丁寧かつがむしゃらに。

泥臭く、が自分のモットーじゃないのか。

 

人生は常に真剣勝負である。

 

今、何をするか、何を考えるか。

 

凡人のまま生涯を終えるのならば、普通の生活を送ればよい。

ただ、自分は世界を変えたいと思っている。

 

富や名声、私欲のためでなく、自分が本当になりたい自分になるために。

 

今、学び続けなければならない。

 

自分に厳しくなければならない。

 

甘ったれるな若僧よ、

 

君の未来は明るい。

 

さぁ、少女よ、大志を抱け

 

 

持論について

持論

 

人生苦しんだ者勝ち

 

大抵の人は

人生は楽しんだ者勝ち

と言う

 

だがそれは、苦しみを苦しみと思わない才能の持ち主の言葉か、単に自分の好きなことだけを選んで生きられる上流階級の言葉

このいずれかだ。

 

後者のことは

置いておく

 

一方で

前者は成功者になれる。

一流のアスリート

芸術家

企業家たち

 

努力を努力と思っていない彼らは世界を変えられる

 

私はというと・・・

努力は努力と思ってしまう

一つのことを突き詰めることはできないし、

芸術家の、変態の域には達せない

 

だから、たくさん努力して、苦しんで、乗り越えて

その先にあるものをつかみ取りたい

 

楽しんだ者勝ちと思えないのなら

苦しんだ者勝ちと思って

何からも逃げない

 

凡人が世界を変えられるなら

それしかない

 

あああ

凡人はここらで考えることが苦しくなってきました((笑))

乗り越えるしかない、うん。向き合うしか。笑

 

そんなこんなで

明日も自主練です

 

朝練習して、その後ジムへ行って筋肉を痛めつけて、その後また丸子へ戻る

 

9月10日の大事な試合に絶対に勝ちたい

 

勝って、FINAL4に行きたい

 

そのためにやれる全てのことはしつくす

 

フィールドに立った自分の

 

孤独な背中を押してくれるのは

 

たくさんもがき苦しんだ過去の自分だから

 

未来の自分のエールを

 

よし。

 

練習しよう

 

 

 

 

 

 

真実とは

最近

ずっと苦しいと思っていた

 

部活に勉強に、

追いかけるものが大きすぎて

自分の前に立ちはだかる壁が高すぎて

それを登るのが怖くなって

 

自分の歩んでいるこの道が正しいのか

果たしてこれでよいのか

今まで歩んできた道を振り返っては

後悔して

もう遅いとか

嘆いたりして

いやになって

 

怖くなる

将来が

 

焦るし

心細い

 

 

でも・・

夢に向かって頑張るって

すごい素敵なことで

こんな贅沢なことさせてもらっているのに

苦しいとか

不安とか

思ってはいけないんだ

 

叶えたい夢がある

その夢のことを想うと

いつだって涙がこぼれそうになる

なんでだろう

どういう現象なんだろうか

わからないけど

本気で叶えたい

 

そのためにはやるしかない

 

今日はニュースで、トルコ・シリアの地震による被害の悲惨さを目の当たりにした

 

ウクライナ侵攻で、ブチャの虐殺の惨い現実を目の当たりにした

 

講義の中で冤罪の人が29年も獄中で、無実を訴え続けたということを知った

 

この世の中は、とてもじゃないけど、綺麗ではない

極めて冷酷で残酷で悲しいものだ

人の力では太刀打ちできない部分もあれば

人の力によって破壊される部分もある

 

何が正しいのか分からない

 

どうすればうまくいくのかもわからない

 

けど、一つだけ言えるのは

  一つだけ確かなことは

 

今の自分がここに存在して

生きていて

勉強机に座って

パソコンをかたかたと言わせながら

言葉を紡いで今こうして白紙に思いをつらつらとのせている

 

今現在、特に命の危険に脅かされているわけでもなければ

明日の衣食住に困っているわけでもない

 

これが真実だ。

 

だから

 

私は、やらなくてはならない。

 

動かなくてはならない

 

この世に生まれた意味を

生を与えられた責任を

使命を

果たさなくてはならない

 

私はいつも

寝る前に

神様にこう祈る

 

私を平和のための道具としてお使いください。

 

「使われる」ためには

たくさんの努力が必要だ

 

だから、頑張る

 

心が折れそうになっても

下を向いている時間なんてない!!

と言い聞かせて

 

待っている人がいる。

 

 

夢涙について

久しぶりすぎるブログ

半年ぶりに戻ってきた

友人とブログの話になり、自分がこのブログをなんたらというペンネームでやっていたことをふと思い出した。

 

今は、勉強をしていた最中だ

将来の夢のための勉強。

20歳になったいま、私にはやらなければならないことがある

 

スーパー

これまた、初投稿と同じで舞台はスーパー。

私はスーパーに行くと、自分の夢を再認識する

 

夕方、くたくたの背広を着てお惣菜に手を伸ばすサラリーマン

少し贅沢をしようかとお寿司コーナーでしばらく悩むOLさん

ゆっくりと買い物のカートを引きながら晩御飯を選ぶおじいちゃん、おばあちゃん

子どもを抱えながら、特売品を見つめるお母さん

 

こんな光景を見てしまったら私は、この人たちを幸せにしたいと思ってしまう

熱いものがこみあげてくる

 

ほんの少しでも、少しだけでもこの人たちを幸せにできたら・・・

この人たちの日常を、普通を守りたいって。なぜか泣きそうになる

 

まったくの他人をみて、スーパーで泣きそうになるなんておかしな話だが、

これは結構真剣は話である

 

必死に生きる人の今日と明日を守りたい

そのためには、政治家になって国民の生活基準を上げるとか、

警察官になって市民の暮らしを守るとか、福祉で弱い立場の人に寄り添うとか

色々な方法があると思う、無限大に可能性は広がっている。

 

その中でも、私は弁護士になりたいのだ

本当の意味で、強くて優しい大人になりたい

 

なぜ弁護士になりたいか

弁護士になれば、いろんな人をいろんな場面で救えると信じているから、

大きくて大事なことも、小さくても大事なことも

両方に関われる 

大事なことに関われる

 

かっこいい。純粋にかっこいい

 

強くて優しい弁護士になる。

 

夢のことを考えると、いつだって涙がこぼれそうになる溢れそうになる

 

泣きたいくらいの本当の夢ってことかな

 

だとしたら、この涙 絶対に無駄にはしない

この涙を信じる

いつか本当に誰かのために

大切な人たちのために、困っている人たちのために

奮闘して

全力で涙を流せるようなそんなかっこいい人になる

 

タバスコを探す平和について

お題「ささやかな幸せ」

 

探し物について

 

記念すべき初投稿は、ふっつうの日常のワンシーンを切り取ることにする

 

今日は家に帰る前にスーパーに寄った

病院の帰りに、最寄り駅のスーパーでの買い物を頼まれた

 

肉離れ

「よくなってるね。走れるのは2週間後。ではリハビリ開始」と医師からリハビリのゴーサインが出たのに、いざリハビリ科に行くと、今日は混んでると断られてしまう

別日に変更した。リハビリがしたい早く。

 

タバスコ

買って来るように頼まれたのは「棒棒鶏の素」と「タバスコ」

スーパーで探し始めても、なかなか見つからなかった。

 

店員さんに聞いたところ、棒棒鶏の方はすぐに見つかった。

タバスコの方はなかなか見つからず、最初に聞いた人が、別の店員さんを呼び、さらにその人がまた他の店員さんを呼んで、3人掛かりで探すこととなった。

タバスコは簡単には手に入れられないみたいだった。因みに私は辛いものが一切食べられない

 

あとから、社員さんのような男性が出てきて、ようやく見つかった。

探していたゾーンには確実にあった。ちゃんと香辛料のところに

ただ、ハラペーニョの緑色のタバスコが置かれていた場所とはだいぶ違うところにあった。似た物、というかほぼ同じものなのに。近くにないんだなと思った

 

なにが幸せかというと、

3人の店員さんと探したこと、誰が先に見つけられるかということで、一生懸命探したこと

何て平和なんだろうとふと思ってしまった

絶対に自分では使わないタバスコのために、自分も必死になっているのが少し可笑しかった。にやけてしまった

世界が大変な中、自分はこんなにタバスコに必死になっていいのだろうか、神様。

罪悪感すら感じてしまった

あれ、矛盾してる。幸せ・罪悪感。結局どっちなのかよくわからないし、どっちもだと思うけど、とにかくタバスコが見つかってよかった。

 

ああ。書いていると下らなく思えてしまう。書き始めたことを後悔してしまう(笑)

下らないことをこうして綴るなんて、暇なんだろうか自分。幸せなんだろうか自分。

もっとやることあるだろう他に。

下らないつまらないことに対する感性と、些細なことに敏感になる感性は紙一重なんじゃないだろうか

このブログがどこかの有名文豪の記した日常だと言われれば、感動する人がいるのではないだろうか。いや97.9%ないなそれは。

とにかく私は文豪ではないので、そろそろ書くのをやめたいからここまでにするが、結論探し物もわるくはないし、何気ない日常ほど平和なものはない

 

あと、ひとつ

今日の小さな幸せ。

帰宅すると我が家では、電力削減の一環で4本のろうそくに火が灯っていた。

赤くてクリスマス仕様のアドベントろうそくを眺めながら、私は明日の平和を祈っていた。祈ることしかできなかった。それでも、祈れる幸せを噛み締めながら、ただただ、揺れる灯火に瞬きもせず見入ってしまうのだった

 

おやすみなさい