タバスコを探す平和について

お題「ささやかな幸せ」

 

探し物について

 

記念すべき初投稿は、ふっつうの日常のワンシーンを切り取ることにする

 

今日は家に帰る前にスーパーに寄った

病院の帰りに、最寄り駅のスーパーでの買い物を頼まれた

 

肉離れ

「よくなってるね。走れるのは2週間後。ではリハビリ開始」と医師からリハビリのゴーサインが出たのに、いざリハビリ科に行くと、今日は混んでると断られてしまう

別日に変更した。リハビリがしたい早く。

 

タバスコ

買って来るように頼まれたのは「棒棒鶏の素」と「タバスコ」

スーパーで探し始めても、なかなか見つからなかった。

 

店員さんに聞いたところ、棒棒鶏の方はすぐに見つかった。

タバスコの方はなかなか見つからず、最初に聞いた人が、別の店員さんを呼び、さらにその人がまた他の店員さんを呼んで、3人掛かりで探すこととなった。

タバスコは簡単には手に入れられないみたいだった。因みに私は辛いものが一切食べられない

 

あとから、社員さんのような男性が出てきて、ようやく見つかった。

探していたゾーンには確実にあった。ちゃんと香辛料のところに

ただ、ハラペーニョの緑色のタバスコが置かれていた場所とはだいぶ違うところにあった。似た物、というかほぼ同じものなのに。近くにないんだなと思った

 

なにが幸せかというと、

3人の店員さんと探したこと、誰が先に見つけられるかということで、一生懸命探したこと

何て平和なんだろうとふと思ってしまった

絶対に自分では使わないタバスコのために、自分も必死になっているのが少し可笑しかった。にやけてしまった

世界が大変な中、自分はこんなにタバスコに必死になっていいのだろうか、神様。

罪悪感すら感じてしまった

あれ、矛盾してる。幸せ・罪悪感。結局どっちなのかよくわからないし、どっちもだと思うけど、とにかくタバスコが見つかってよかった。

 

ああ。書いていると下らなく思えてしまう。書き始めたことを後悔してしまう(笑)

下らないことをこうして綴るなんて、暇なんだろうか自分。幸せなんだろうか自分。

もっとやることあるだろう他に。

下らないつまらないことに対する感性と、些細なことに敏感になる感性は紙一重なんじゃないだろうか

このブログがどこかの有名文豪の記した日常だと言われれば、感動する人がいるのではないだろうか。いや97.9%ないなそれは。

とにかく私は文豪ではないので、そろそろ書くのをやめたいからここまでにするが、結論探し物もわるくはないし、何気ない日常ほど平和なものはない

 

あと、ひとつ

今日の小さな幸せ。

帰宅すると我が家では、電力削減の一環で4本のろうそくに火が灯っていた。

赤くてクリスマス仕様のアドベントろうそくを眺めながら、私は明日の平和を祈っていた。祈ることしかできなかった。それでも、祈れる幸せを噛み締めながら、ただただ、揺れる灯火に瞬きもせず見入ってしまうのだった

 

おやすみなさい